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きらくやの出来るまで1

一泊朝食旅館に切り替えて間もなく4年になる。他業種からの参入なら判らない事は無いが長年旅館業をしていた方がどうしてこの様な(飲食、サービスから利益を捨てる)旅館に切り替えたのかと同業の方には良く聞かれる。 自分の生き方の軌跡としても文章として留めて置く事にした。

1、紅葉館きらくやの歴史と私

  私の祖先は旧郡山市の古い商家であった。 戦後のドサクサにまぎれて祖父が当時岩代熱海と言ったこの地の駅前に49年小さな料理旅館を買った。 敷地は20間×20間、ほぼ真四角な敷地に木造2階建てと4室の離れからなる旅館であった。 父は遅れること8年、57年から旅館の仕事を始めた。とは言っても父は温泉組合、旅館業界、日観連などの業界に顔を出し、 仕事は殆ど母がしている様なものだった。 岩代熱海と言う駅名を磐梯熱海に改正したのは65年頃、これは父の長年の政治運動の成果だろう。
  私は大学卒業後3年ほど東京で働き、70年にUターンし、旅館の仕事を手伝い始めたので今年で30年経た事になる。 その後私は結婚し子供も出来て父母もまだ若かった事からろくに本気で仕事をしなくとも はじめの10年くらいは経ってしまったような気がする。 83年初めて自らが代表取締役となり本格的に借金をして建築工事をし客室格差がほぼ無くなった。 磐梯熱海と言う場所は福島の会津には無い利点が有った。 観光客が動かない冬季には忘年会、新年会、年度末と地元客の奥座敷型利用があったので 営業は県内の同業他地区よりは楽であった。 その後は小刻みに利益を小さな改修工事につぎ込み10年ほど経た。 データから営業費の割りには売上げがジリ貧になっていく事が推測できた。 「このような旅館にしたい」と言う夢が語れなく別の経営形態を模索しはじめたのは93年頃かと思う。
  以下に話する旅館業の不合理な部分に営業的解決の糸口があるのでは無いかと考える様になったのはこの頃である。

2、お客様の望んでいない、料理とサービス

  利益が出ない元凶は料理とサービスに有ると思い始めた。宴会が終わった後、 片付ける前のお膳の上の残り物を一般の人にも是非見ていただきたい。 見渡す限り殆ど手を付けていない料理と飲みきれなかったお酒、ビールが溢れんばかりに残っている。 商売強い近所の同業経営者は 「ありがたい、胃袋に入らない分まで買ってくださって、これが儲けだ」 と思うそうである。 私は食材を料理を作った人に申し訳ない。何よりも餓えに苦しむ世界の飢餓地帯に住む人に申し訳無いと考えている。 こんな事を続けていたらきっといつかは罰が当たると思いながらいつも片付けを手伝っていた。 一日に出る残飯の量は一人分どんぶり一杯くらいは有るだろう。
  旅館の客室係りは判で押したように着物を着ている。 当館では83年の増築の時にワンピースに切り替えたが多くの旅館ではいまだに着物である。 それ以来96年6月に「紅葉館」を閉じる時まで客室係りが着物を着ていないとクレームになる事はなかった。 お客様が到着すると客室係りがそばについて荷物を持ってお部屋まで案内、 そしてお提茶、お部屋での館内説明、さらに食事出しまで何かと世話をする。 なにかチップを催促されているようだと嫌がるお客様も多いのに仕事だからしないわけには行かない。 朝もゆっくり寝ていたいのにやれ「新聞をお持ちしました。」ほれ「お茶を入れます」余計なお世話である。
  お客様が望んでいない料理とサービスなのだからそれを無くすことは旅館に 付き物の板前と客室係りを無くしたら旅館はどうなるだろうと新たな夢を持ち始めた。

3、旅館の一室多人数指向

  旅館とは土曜日、お盆、正月などの繁忙日には2人客は家族親戚でもまず宿泊出来ない。 理由は一室に2人宿泊させるより4〜 5人宿泊 させるほうが売り上げも利益もあがるからである。 いや、この時期にこそしっかり目一杯お客さまを入れて売上げ、利益を稼いでおかなくてはならない宿命に有るのだ。 だから正月に2人客などはいくら空室が有っても請ける事は無い。 1室 5人入るなら一人 15000円で予約を請ける旅館は1室2人を一人3万円とは言いにくいし、 客も旅館も2倍の3万円の価値を認めないからである。 2人客には満員と行って5人で総額 75000円の客が来るのを我慢して待ったほうが良いし、 更に飲食付帯売り上げが加算されればもっと差が着くからである。
  しかし最近は客足もとおのいてきた。 あわやくばを期待し2人客の予約は断り続けている旅館が満室にならないと判断するや、 「キャンセルが出たから」と前日あたりから慌てて2人客でも受け始め、 結局部屋を空かせてしまうケースが多いと旅館組合の旅館案内担当者は苦笑いする。 そんな旅館は毎週木、金にキャンセルが出る。

4、旅館料理は出来たてを出せない

  旅館料理は朝から始まる仕込みで手不足をカバーする。 本来なら頃合を計って出すべき天麩羅などもお客の食事時間に関係なく揚げてしまう。 夕方仕事に追われないよう仕込みどころか料理を作ってしまうのである。 熱いものは熱く、冷たい物は冷たくと経営者は言うがそれにはもっと人手が欲しいのである。
  旅館が暇な時位、お客様が座ってから天麩羅を揚げて出してやるかとの板前の好意ですら裏目に出る。 アツアツの天麩羅を食べたお客様が感激して別の日を予約して見えになる。 お見えになったその日が繁忙日だとアツアツ天麩羅は出せない。 お客様は「先日は揚げたての天麩羅を食べたのに」と怒り出す。 サービスは忙しい暇にかかわらず均質でなければならない。 同じサービスを継続出来なければしないほうがいいのである。
  かくして通常の旅館ではアツアツ天麩羅、焼きたての魚は夢となる。
  割烹並みのサービスを求めるには最低一人三万五千円は必要だろう。これは旅館料理とは言わない。

5、旅行業者と案内所

  83年の増改築を機に県単位の地区案内所の会員になり同行セールスで成果を上げる様になった。 ところがお客様との間に旅行業者、案内所とが入る事になりお客様の動向が見えなくなってきた。
  せっかく売れる日が空押さえて効率的に売れない。 さらにお客様は早々とキャンセルしたのに売れる日だとぎりぎりまで押さえて離さない。 早々と案内所から請求された部屋割りをお客様は到着当日、ロビーで部屋割りをする等。
  本来お客様はどのような目的でこの旅館を利用し、 どのようなサービスを受けたいかをしっかりメッセージすべきである。 しかしそのような情報は旅行業者経由の場合流れて来ない。 旅館からもお客様への部屋割り、増し料理の予約のお願いなど流すのだが、 双方の情報は間に立つ案内所、旅行業者で寸断されてしまうのである。 更にお客様の直接に連絡を取り合ったりすると怒り出す旅行業者もいる。
  旅館側はその後のお客様も欲しいから旅行業者の言いなりになる。 お客様に不満が残っても旅行業者が、 もっと極端にはその添乗員(営業マン)が喜んでくれればその旅行は成功であった。 これは旅行業者の一方的責任ではない。旅館側の旅行業者へのへりくだり過ぎが責任の半分である。
  そんな中私は 「旅館は旅行業者無くても営業できるが、旅行業者は旅館が無ければやって行けない」 などと言って旅行業者を怒らせた事も有った。 しかし旅行業者は出来高払いの営業マン。 上手に活用すればこんなありがたい事は無いと私は信じている。
  以上一泊二食営業当時の営業上の疑問点を書いてみた。今もそれ程変わりは無いだろう。
  が、何より解決を望んだのは営業収支である。通常の営業費削減策は5人いるフロントを3人に、 7人いる客室係りを5人にと安易な人件費に手をつけるだろう。 しかしそれでは「次の死刑宣告は自分の番かと」従業員のやる気を無くさせ、 料理、サービスを低品質化させる悪循環を作ることに他ならないと判断し断固とこれを拒みつづけた。

  95年、リクルート社の発行する旅行情報雑誌じゃらんの営業社員が来た。 利用する気は無かったが話を聞いた。驚いた。 2人3人の小間のお客さまを集めるのに安くも無い広告を出している旅館が有るのである。 その頃当館の主流は一番売上げ効率の良い5人〜15人のグループ、小団体で有ったからなお更である。 その営業社員にじゃらんで広告を出していて利益が上がっていそうな旅館を紹介してもらいたいから、 上司を連れて来るように頼んだ。そうして私の新業態旅館探しは始まった。

※年号は西暦です。